暦から読み解くインドネシアの「多様性の中の統一」-多民族国家の時間の使い分けとは

皆様こんにちは、インドネシア総合研究所代表のアルビーです。

インドネシアと聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。南国のリゾート、多様な芸術、エスニック料理など、その魅力は尽きませんが、今回は少し違った角度から、この国の奥深い多様性をご紹介したいと思います。それは「暦」です。

実はインドネシアの人々は、私たちが日常的に使っているカレンダー(太陽暦)の他に、いくつもの異なる暦と共に生きています。ビジネスの約束は太陽暦で、お祈りはイスラム暦で、そして結婚式の日取りはジャワ暦で決めるといった具合に、状況に応じて時間を使い分ける、まさに「時間の達人」なのです。この複雑で豊かな時間の概念が、いかにしてインドネシア社会を形作っているのか、一緒に見ていきましょう。

目次

国をまとめる「世界標準の暦」

インドネシアの公的なカレンダーは、日本や世界の多くの国と同じ太陽暦/西暦(グレゴリオ暦)です。行政やビジネス、学校教育などはすべてこの暦に沿って動いており、多民族・多宗教の国民を一つにまとめる、いわば「世俗の時間」のフレームワークとしての役割を担っています。しかし、インドネシアの太陽暦がユニークなのは、それが多様な文化や宗教の時間を内包するための「公的な器」として機能している点です。イスラム教のレバラン(断食月明けの大祭)、キリスト教のクリスマス、ヒンドゥー教のニュピ(サカ暦の新年)、仏教のワイサック(仏教大祭)、そして華人のイムレック(春節)といった各宗教の重要な祝祭日は、すべて太陽暦のカレンダー上で「国民の祝日」に定められています。これは、国家がそれぞれの文化の「聖なる時間」を公的に承認し、国民全体で共有するためのプラットフォームとなっていることを示しており、「多様性の中の統一」という国是を暦の上で体現しているのです。

信仰と共に巡る「イスラム暦」

国民の9割弱がイスラム教徒であるインドネシアでは、イスラム暦(ヒジュラ暦)が人々の信仰生活の根幹をなしています。1年が約354日の純粋な太陰暦であるため、太陽暦とは毎年11日ほどのズレが生じます。このため、断食月であるラマダンは毎年違う季節に巡ってきます。とても稀なことですが、西暦2030年にはラマダンの断食月が1月と12月の2回訪れるなんてことも起こります。異なる季節に断食月がやってくることは、信仰が特定の風土や季節に縛られない普遍的なものであることを信者に体感させる意味を持っているとも言われています。

このイスラム暦が社会経済に与える影響は絶大です。特にラマダンの終わりを祝う「レバラン(イドゥル・フィトリ)」の時期には、日本の正月にあたる国民的な大移動「ムディック(大帰省)」が起こります。数千万人が一斉に故郷を目指すこの現象は、企業から支給される「宗教手当(THR)」というボーナスによって支えられており、交通、小売、飲食といった幅広い産業に巨大な需要を生み出す、強力な内需刺激策ともなっています。

運命を読み解く「ジャワ暦」

ジャワ島を中心に、今なお人々の生活に深く根付いているのがジャワ暦です。ヒンドゥー教のサカ暦を基盤に、イスラム暦の要素を取り入れて成立したこの暦は、ジャワ文化の融合主義的な性格を象徴しています。ジャワ暦の面白い点は、7日周期の週と、5日周期の週(パサラン)が同時に進行する点です。この2つの週の組み合わせ(ウェトン)は35通りあり、それぞれが固有の性格や霊的な力を持つと信じられています。結婚式の日取りや事業の開始など、人生の重要な節目において、人々はこの暦を用いて吉日を選びます。これは、単なる占いという以上に、宇宙のリズムと人間の営みを調和させようとする、ジャワ文化の深い精神性を表していると言えるでしょう。

静寂が宇宙を浄化する「サカ暦」

バリ島で用いられるサカ暦(バリ・ヒンドゥー暦)の新年は、「ニュピ」として知られています。この日は「静寂の日」と呼ばれ、火や電気の使用、労働、外出、娯楽の一切が24時間にわたって禁じられます。この禁忌は島民だけでなく観光客にも適用され、国際空港さえも完全に閉鎖されるため、知らずのその日を迎えると驚くに違いありません。前日には悪霊を模した巨大な張り子の人形「オゴオゴ」を練り歩かせて社会の穢れを払い、ニュピの静寂によって世界を一度「無」の状態に戻します。そして、翌日に新たな関係性を再構築するのです。ニュピは、人間活動を強制的に停止させることで、社会と自然環境の両方をリセットし、再生させるための、壮大な儀式なのです。

アイデンティティの象徴「華人暦」

インドネシア社会の多様性を語る上で欠かせないのが、華人コミュニティの存在です。彼らが用いる華人暦(太陰太陽暦)で最も重要な祝祭が、新年を祝う「イムレック(春節)」です。このイムレックの扱いは、インドネシアの政治史を色濃く反映しています。スハルト政権時代、華人文化は抑圧され、イムレックを公に祝うことは禁止されていました。しかし、1998年の民主化以降、アブドゥルラフマン・ワヒド大統領によって禁止令は撤廃され、続くメガワティ大統領政権下の2002年、イムレックはついに国民の祝日として制定されたのです。これは、国家が華人を「華僑」(「僑」は「仮住まい」を意味する)とみなすのではなく、国民の正当な構成員として再承認し、その文化を国家の多様性の一部として祝福するという、極めて重要な政治的メッセージでした。

多様な時間の中で生きるということ

このように、インドネシアの人々は、太陽暦、イスラム暦、ジャワ暦、サカ暦、華人暦といった複数の時間軸を、状況に応じて自然に使い分けながら生きています。この複雑な時間の共存は、豊かな文化的生活の実践そのものとなっています。政府もまた、各宗教の祝日を国民の祝日とし、その前後に有給休暇取得奨励日を設けることで大型連休を創出し、国民が宗教行事に参加しやすくすると同時に、国内経済を活性化させるという巧みな施政を行っています。インドネシアに共存する多様な暦は、この国が経験してきた複雑な歴史が刻まれた、生きた文化遺産なのです。この重層的でダイナミックな時間の織物を理解することこそ、インドネシアという国家を深く知るための鍵と言えるでしょう。

弊社インドネシア総合研究所では、こうしたインドネシアの文化や社会に関する深い知見に基づいた市場調査やコンサルティングを行っています。皆様、是非お気軽にお問い合わせくださいませ。

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