【コラム】インドネシアの華人の歴史とビジネス②

前回のコラム「インドネシアの華人の歴史とビジネス①」では、インドネシアの華人は世界各国と比較すると人口は多いながらも国内ではマイノリティであること、また1930年の調査と2000年の調査の間で自身を華人(Cina)と名乗る人の割合が大きく減少していること等を紹介いたしました。この前回のコラムでインドネシアの華人についてその定義や植民地統治時代の歴史的立場を詳しく紹介しておりますので、是非こちらもご覧くださいませ。

今回のコラムでは、華人であるというアイデンティティの放棄にまで至った独立後のインドネシアの華人をめぐる歴史を紹介していきます。

インドネシアにおける華人政策の変容(弊社作成)

9.30事件、3.11政変

独立後インドネシアにおいて華人に影響を及した大きな出来事の一つとしてあげられるのは、1965年9月30日夜半から10月1日未明にかけて発生したクーデター未遂事件「9.30事件」です。

この事件は「革命評議会」を名乗るスカルノ大統領の親衛隊が大統領転覆の企てを未然に防ぐためと称し陸軍将校らを殺害したことに対し、次期大統領スハルト(当時は少将)が率いる陸軍戦略予備軍司令部が反撃に出て治安を掌握したものです。

国軍はこの事件がインドネシア共産党(Partai Komunis Indonesia, PKI)に主導されたものと発表し、事件後スカルノ大統領がPKIの非合法化を拒否したことを契機に彼を政界の中心から排除すべくスハルト軍が権力剝奪に動きました。1966年3月11日にはスカルノ大統領が治安回復の権限をスハルトに移譲する旨の書類に署名したことで「3.11政変」と呼ばれる力関係の逆転が起こり、後にスハルトは第二代大統領に就任しました。

このスハルトへと権力が移行した時代にインドネシアでは国軍や民間の反共主義者によりPKI党員関係者らが大規模に逮捕・虐殺され、その犠牲者は50万人から200万人以上とも言われています。

スハルト時代の抑圧

9.30事件や3.11政変によるスカルノからスハルトへの力関係の転換後、インドネシア華人は暗い時代を生きることになりました。それは9.30事件への中国共産党の関与を疑う世論の高まり等からインドネシアと中国が対立を深めたことに端を発します。

インドネシアでは反中国デモ隊による中国の外交施設や中国人学校への襲撃が度々発生し、華人排斥運動が各地で行われ、数万人もの華僑・華人が中国への引き揚げや身隠しを余儀なくされました。

またスハルト大統領は華僑・華人勢力を潜在的脅威と見なし、中国語教育・学校禁止、インドネシア名への改名要求(林→サリム、王→グナワン、黄→ウィジャヤなど)、公の場での漢字使用禁止、中国語新聞・書籍の輸入規制、中国系信仰実践の規制、イスラーム・キリスト教への改宗奨励等多くの同化政策を行いました。中国においても対抗措置として大規模な抗議デモやインドネシア外交官の追放等が行われ、険悪になった両国の関係は1967年10月9日に国交凍結へと至りました。

1978年頃からは国籍管理による華人への監視や差別が行われるようになりました。国籍証明書(SBKRI)の携行を義務付け、華人住民再登録命令、国籍申請等の政策において政府は華僑・華人の把握を強化し、共産党や9.30事件との関わりを厳しく精査しました。また、役所では大量な書類の要求、過剰なほど長期にわたる手続き、賄賂の要求等、嫌がらせ行為も多く行われたといいます。

裕福な華人企業と反華人暴動

一方、元来経済界において立場の強かった華人政商は権力との癒着を深めて行きます。製粉・食品・銀行ビジネスのサリム・グループ(スドノ・サリム創業)、製紙・パーム油・不動産業のシナルマス・グループ(エカ・チプタ・ウィジャヤ創業)、自動車組立業のアストラ・グループ(W・スルヤジャヤ創業)等、華人企業の政商はスハルト大統領の親族や政府・軍の高官が権力を握る企業グループと癒着し、輸入許可証・木材伐採権などの特権を付与されたほか、経済界を牛耳っていました。

また1985年の対中貿易関係復活、1990年のイ中国交正常化を以て華人企業の対中投資が活発に行われるようになりました。そんな中1997年アジア通貨危機の発生によりインドネシア経済も大打撃を受けると、国民によるスハルト政権への強い不満が起こり、長らく「政権と癒着し経済を支配し、富を独占している」と見なされていた華人もその不満の標的となりました。

反華人感情は翌1998年5月の「ジャカルタ暴動」へと発展し、華人商店の襲撃や華人の無差別大量殺害により、少なくとも1000人以上の華人が犠牲になりました(正確な数は現在も不明)。

同化から共生へ―政策の転換―

ここまで長きに渡り抑圧を受けてきた華人ですが、1998年5月にスハルト期が終焉を迎えるとインドネシア社会は華人の人権・文化尊重へと転換していきます。後任のハビビ第三代大統領は行政における「プリブミ(Pribumi; 土着のインドネシア人)」「ノンプリ(Non-Pri;華人などのマイノリティ)」といった言葉を使用禁止にした他、民族・宗教・出自による差別を禁止しました。

第四代のワヒド政権や第五代のメガワティ政権では、中国宗教・信仰・慣習に関する大統領令廃止、中国語使用・教育の解禁、儒教の公認宗教化、春節(Imlek)の祭日化、続く第六代ユドヨノ政権下では国籍証明書の廃止等、立て続けにスハルト期の同化政策の撤廃が行われました。

民主化を経て差別的政策が解消されると華人は国政への影響力も拡大させていきました。政界では華人政治家が台頭し始め、2014年にはジャカルタ州知事に華人系政治家のアホックが就任しました。一方で、各方面での華人の台頭を警戒してか、「インドネシアは中国に支配される」等と中国の脅威に対する不安感情を煽る、また国民の約9割が信仰するイスラーム教への尊厳を利用して、華人有力者を抑え込もうとする風潮は現在も一部で見られています。

先に紹介したアホックも、後にコーランの一説を用いた演説が曲解され宗教侮辱罪で有罪判決を受けた事件を耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

まとめ

ここまで2回に渡り、インドネシアの華人の背景を紹介してきましたが、如何でしたでしょうか。

インドネシアの華人は、植民地時代から度々憎悪を向けられ、スハルト時代には徹底的な弾圧・排除の対象となり暗黒の日々を経験してきた人々なのです。現在インドネシアの経済界のトップに君臨するような華人企業グループも、政治・経済変動のなかを逞しく生きてきた人々なのです。

皆様がインドネシアでビジネスをされる上で、こうした歴史的背景を知っておくことは取引先やパートナーを理解し、より深い関係を築くために必ず役に立つと弊社インドネシア総合研究所は考えております。
弊社では、皆様のインドネシアビジネスを成功に導くためのご相談やサポートも行っております。ご関心をお持ちの方は是非お問い合わせくださいませ。

株式会社インドネシア総合研究所
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