【アルビー日記】日本の観光資源の活用課題―バリ島のケチャ舞踊の事例を参考に

皆様こんにちは、インドネシア総合研究所代表のアルビーです。
今回は、コロナ禍後の外国人向けの日本の観光業に関して私自身が考えていることを皆様にお伝えしたいと思います。

コロナ禍後の観光業の回復と課題


(出典:弊社資料より引用)

新型コロナウイルスのパンデミックが終焉に向かい、日本を訪れる外国人が再び増えて来ました。入国時の事前のPCR検査などの手間が省け、ますますコロナ禍以前のインバウンドの水準に復活しつつあります。
それに伴って弊社インドネシア総合研究所は地域復興支援や地域ブランディング、インバウンド関連のジャカルタにおけるイベント開催支援のお仕事の依頼が増え、非常にありがたいと思っております。

しかしながら、お客様からのご意見の中には、日本の観光業について考えさせられるような疑問が残るものもいくつかあります。
各イベントには旅行代理店の方や銀行の富裕層プラチナム会員の方々が来場しますが、「なぜ○○地方にわざわざ行かないといけないのか」といった質問を多くいただきます。

外国人観光客の定番「ゴールデンルート」

日本に行く前に多くの方々はInstagramなどの情報を参考にしており、多くの外国人観光客の間では「ゴールデンルート」と呼ばれる定番の観光ルートがあります。東京、箱根、富士山、名古屋、京都、大阪という人気5都市を観光するという日本観光の定番ルートです。成田空港から入国し、東京周辺の観光地を巡り、箱根、富士山、名古屋などを経由して関西を観光し、関西国際空港から帰国するという、約5日から10日程度の旅程です。関西から関東に向かう逆のルートもあります。この「ゴールデンルート」を観光する外国人観光客の方々が多い反面、他のまだ知らない地域へ足を延ばす外国人観光客はなかなかいないのが現状です。例えば山形や仙台に行くのかというと彼らはなかなか行かないかと思います。

しかし、私にとって日本はとても奥深く、そしてゴールデンルート以外の観光資源も豊富であると思っています。外国人観光客の方々には、ぜひ定番ではない地方にも一度足を延ばし、そこにあるディープな日本を好きになって頂きたいと思います。

参考:
https://honichi.com/words/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88/

バリ島におけるケチャ舞踊の観光資源化

日本には外国人を魅了するポテンシャルのある観光資源がたくさんありますが、まだその魅力を伝えきれていないという現状があります。一方で、バリ島は観光資源開発の古い歴史を持ちます。「神々の住む島」とも呼ばれ、その美しい景観や自然、文化は世界中の人々を魅了してきました。バリ島は現地の人々の伝統文化を保ちながら新たな伝統を作り出し、観光地としての開発に成功した好事例です。ここでバリ島の伝統文化がどのように観光資源化されてきたのかを紐解いていきましょう。

バリ島の観光地化は遡ることオランダ植民地時代の1920年代から始まりました。オランダは、インドネシアの植民地化を正当化するためにバリ島の伝統文化を保全する政策をとりました。現在のバリ島のイメージにもつながる、「楽園バリ」のイメージはオランダによって創り出されて宣伝され、現在もバリ島の文化を彩っています。

バリ島で創り出され、観光資源化に成功した代表的な伝統文化として、ケチャがあります。1930年代のバリ島には、画家のウォルター・シュピースやルドルフ・ボネなどがウブドに移住し、「バリ・ルネッサンス」と呼ばれる新しい芸術スタイルを生み出してきました。このウォルター・シュピースこそが、バリ島のケチャを有名にした芸術家です。

1925年に初めてバリ島を訪れたウォルター・シュピースはバリ島の自然や文化に魅了され、この地へ移住しました。当時の白人は支配階級でしたが、ウォルター・シュピースは現地の人々の優しさに心惹かれ、交流を深めていき、バリ島において西洋と東洋の架け橋のような存在となりました。

このように、バリ島の文化や芸能に詳しくなったウォルター・シュピースは、西洋の芸術家たちのバリ島を舞台にした作品を支援するようになります。ウォルター・シュピースが制作支援をしたアメリカの映画「鬼の島」ではバリ島の原始社会における善と悪の象徴的な戦いを描いています。この映画のクライマックスのシーンで演じられた舞踊こそがケチャの発祥とも言われています。

映画「鬼の島」はプドゥル村が舞台で、登場人物のサリとワヤンは恋人同士です。サリは裕福な家の生まれで、魔女の息子であると言われるワヤンとの結婚を彼女の父親は認めません。この2人の恋は秘密にしなければならないものでした。そのうちに彼らの周りだけでなく村人たちには疫病などの不幸が次々に降りかかります。この不幸を鎮めるために、伝統的な呪術の舞である「サンヒャン・ドゥダリ」が踊られ、災厄の原因が究明され、悪が制圧されます。

この「サンヒャン・ドゥダリ」の舞踊はケチャの原型になりました。「サンヒャン・ドゥダリ」には男声合唱が使われ、不協和音にも聞こえるようなメロディーとリズムはガムランのリズムと音程に基づいていました。この演出方法が現在まで演じられるケチャの骨組みとなりました。

そして、ケチャの次の転換点は、ウォルター・シュピースがバリ島の舞踊家のワヤン・リンバクと知り合うことで起こりました。ウォルター・シュピースとワヤン・リンバクは、ヒンドゥー教の叙事詩「ラーマ―ヤナ」の演劇を作り上げ、ケチャを大成させました。ガムランだけではなく男声合唱を用い、「サンヒャン・ドゥダリ」に男性舞踏のバリス舞踏の動きを組み合わせました。

「サンヒャン・ドゥダリ」の男声合唱と「ラーマ―ヤナ」という2つの芸能を組み合わせ、ウォルター・シュピースとバリ島の舞踏家ワヤン・リンバクによって確立された新しいケチャは大きな反響を引き起こしました。第二次大戦を経て1960年代に再びバリ島への観光ブームが起こると、ケチャはバリ島の伝統的な文化として世界の多くの人々に認知されるようになりました。

バリ島の伝統芸能に関する詳細は関連記事「【コラム】今日のバリ島文化を創り上げた人物とは?」をご覧ください。また、インドネシア全土の伝統舞踊に関しては「【コラム】インドネシアの伝統的な踊り」をご覧ください。

参考:https://core.ac.uk/download/pdf/233225163.pdf
https://www.hmt.u-toyama.ac.jp/kenkyu/kiyo64/zoubek64.pdf

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今回はコロナ禍後の観光回復に際して、外国人観光客向けの観光地の魅せ方や観光資源の活用課題に関してお伝えいたしました。インドネシアのバリは観光地としての歴史が長く、観光資源の活用も非常に優れています。その代表的な事例として、ケチャ舞踊の由来についてご紹介いたしました。日本にも多くの魅力的な観光地や文化がまだまだ存在しており、これらの地を魅力溢れる観光地として、世界の人々を呼び込むうえで、バリ島の伝統芸能の事例から学ぶ点は多いと思います。

弊社インドネシア総合研究所では、地域復興支援や地域のブランディングなどの事業も行っています。これらの事業にご興味をお持ちの企業様、又は投資家の皆様、是非お気軽にお問い合わせくださいませ。

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