日本人が誤解しやすいインドネシア医療:一般医と専門医を分ける境界線とは

日本語で「医師」と聞くと、多くの人は一つの資格、一つの専門職を思い浮かべます。ところがインドネシアでは、医師の世界はもう少し細かく層が分かれており、法律上も明確に区分されています。とりわけ、Dokter(一般医)と Dokter Spesialis(専門医)の違いは、日本人の感覚からすると意外なほど、はっきりと線引きされている領域です。
一般医とは何か―一次医療を担う制度的存在
まず、「一般医」は、日本でいえば「研修医課程を終え、独立して診療に従事し始める医師」に近い位置づけです。医学部教育を修了し、臨床実習を経て国家試験に合格した後も、そこで終わりではありません。卒後の実務能力を確認する制度として、1年間のインターン制度が課されます。
この過程を通じて、医師としての医師登録証(Surat Tanda Registrasi:STR)と医療実務許可証(Surat Izin Praktik:SIP)が段階的に整えられ、一般診療や基礎的な医療行為を担えるようになります。風邪や胃腸炎、軽度の外傷など、いわゆる一次医療を中心に担当する―それが、一般医の基本的な役割です。
「高度医療は専門医が担う」という制度設計
一方で、インドネシアの医療制度は、「高度な医療は専門医が担う」という明確な前提のもとで設計されています。外科手術や複雑な治療、専門的な判断が求められる領域は、原則として一般医には認められていません。そこで登場するのが、「専門医」Dokter Spesialisです。
専門医になるまでの長い道のり
専門医になるには、まず一般医としての資格を取得したうえで、専門医課程(PPDS:Program Pendidikan Dokter Spesialis)に進みます。内科、小児科、外科、産婦人科、麻酔科、精神科など、診療科ごとに概ね3〜5年の専門教育が課されます。
課程を修了すると、専門医登録証(STR Spesialis)を取得し、専門医療実務許可証(SIP Spesialis)を得て、初めて専門的な業務に従事できます。この仕組みはインドネシアにおいて、専門医に求められる高度な技能と重い責任を、法的に裏付ける制度です。そしてそれこそが、インドネシアの医療制度を特徴づける重要な要素になっています。
法律が区分する「一般医」と「専門医」
この点は、旧・医療人材法(2014年法律第36号)においても、明確に示されています。同法第11条第2項では、Tenaga Kesehatan のうち「医療専門職(tenaga medis)」に含まれる類型として、次の職種が具体的に列挙されています。
“Jenis Tenaga Kesehatan yang termasuk dalam kelompok tenaga medis terdiri atas dokter, dokter gigi, dokter spesialis, dan dokter gigi spesialis.”
「Tenaga Kesehatan のうち医療専門職は、一般医、一般歯科医、専門医、歯科専門医から構成される」。
ここで重要なのは、インドネシアにおいては一般医と専門医が、単なる「同一資格の上下関係」としてではなく、Tenaga Medis(医療専門職)を構成する独立した類型として、法律上明示的に区分されている点です。この構造は、日本の医師制度とは大きく異なる特徴だといえます。
医療行為の範囲も、法律で分けられている
さらに、インドネシアでは、一般医と専門医では行える医療行為の範囲が法律上、明確に異なります。旧法第46条および関連条項、さらには保健大臣規則によるクリニック・病院基準の運用を通じて、一般医は主として一次医療を担い、複雑で高度な医療行為は専門医が担当する―そうした構造が、制度として組み込まれています。
新・健康法(UU 17/2023)における位置づけ
専門医の法的地位は、2023年に制定された新しい「健康法(UU 17/2023)」においても、明確に引き継がれています。同法は、医療に携わる専門職を大きく次の2類型に分けたうえで、一定の条件のもとで法的保護の対象としています。
- Tenaga Medis(医療専門職)
医師、歯科医、専門医、歯科専門医 など - Tenaga Kesehatan(医療関連職)
看護師、助産師、薬剤師、栄養士 など
そして、これらの主体が専門基準およびサービス基準に従って医療行為を行う限り、法的保護の対象として位置づけられています。実際、同法は、公衆衛生上の緊急事態においても、通常の医療提供の場面においても、Tenaga Medis と Tenaga Kesehatan が適切な基準に基づいて業務を遂行する場合には、国家が法的保護を付与することを明記しています。
歯科分野にも共通する二層構造
また、歯科分野にも同じ構造があります。
Dokter Gigi(一般歯科医)は、虫歯治療や抜歯、義歯製作といった基礎的な歯科医療を担いますが、矯正歯科や顎骨手術などの専門的治療は原則として行えません。
その領域を担うのが、Dokter Gigi Spesialis(歯科専門医)です。こちらも専門課程を経たうえで、STRとSIPを取得して初めて、専門的な業務に従事できる仕組みになっています。
病院制度そのものを支える専門医
インドネシアでは、病院の診療科の設置基準や、保健省規則も、専門医制度を前提に組み立てられています。たとえば産科・婦人科(Obsgyn)、小児科(Anak)、外科(Bedah)などの診療科は、専門医が常勤していることを前提として、病院の運営許可が付与されます。つまり、専門医資格は単なる「肩書」ではありません。医療提供体制そのものを支える、制度の根幹に位置づけられているのです。
こうした制度の背景にある発想は、きわめて明快です。インドネシアは人口が多く、地域による医療格差も大きい国です。だからこそ、一般医を広く配置しつつ、専門的な治療が必要な場面では、専門医に確実にアクセスできるようにする―それが制度全体の狙いです。そして医療安全の観点から見ても、専門医の法的責任を一般医とは切り分けて扱うことは、筋の通った設計だといえます。
日本の医師制度との決定的な違い
日本では、医師免許制度は単一です。一方で、診療科ごとに専門医制度(日本専門医機構)が整備されています。ただし、専門医資格そのものが法律に明記されるわけではありません。この点で、一般医と専門医を法律上「別カテゴリー」として扱うインドネシアとは、制度の哲学が大きく異なります。
「医師=Dokter」では捉えきれないもの
インドネシアの医療制度を理解する際、「医師=Dokter」という一枚岩の概念だけでは捉えきれません。むしろ、一般医と専門医が法律上、明確に切り分けられた職能体系である―この視点が欠かせません。この違いを押さえることで、インドネシアの医療現場における役割分担や、医療安全を支える仕組み、さらに医療人材政策の方向性まで、より立体的に見えてきます。
まとめ
「医師=Dokter」という単純な理解では、インドネシアの医療制度は捉えきれません。一般医と専門医の法的位置づけ、STR・SIPの構造、医療行為の範囲、病院設置基準との関係――。
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主な内容
- インドネシアの新法制度と人材階層 2023年健康法および2024年政令に基づく「Tenaga Medis(医療専門職)」「Tenaga Kesehatan(医療関連職)」「Asisten Tenaga Kesehatan(医療助手)」等の4層構造の解説 。
- 各職種の定義と法的要件 医師・歯科医師(Tenaga Medis)と、看護師・薬剤師等の専門職(Tenaga Kesehatan)、およびD3(短大相当)未満の医療助手(Asisten)の業務範囲と資格要件の違い 。
- 日本の「医療従事者」概念との相違点 日本では「医療従事者」が行政上の総称であるのに対し、インドネシアでは明確な法的階層が存在することによる概念の非対称性 。
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参考文献
- インドネシア共和国 法令DB(BPK)”Undang-Undang Nomor 36 Tahun 2014 tentang Tenaga Kesehatan”:https://peraturan.bpk.go.id/Details/38770/uu-no-36-tahun-2014(最終閲覧日:2025年12月23日)
- インドネシア共和国 法令DB(BPK) “Peraturan Menteri Kesehatan Nomor 7 Tahun 2022(Program Internsip Dokter dan Dokter Gigi)“:https://peraturan.bpk.go.id/Home/Details/218294/permenkes-no-7-tahun-2022(最終閲覧日:2025年12月23日)
- インドネシア共和国 法令DB(BPK) “Permenkes Nomor 7 Tahun 2022(PDF) “:https://peraturan.bpk.go.id/Download/212687/Permenkes%20Nomor%207%20Tahun%202022.pdf(最終閲覧日:2025年12月23日)
- インドネシア共和国 法令DB(BPK) “Undang-Undang Nomor 17 Tahun 2023 tentang Kesehatan“:https://peraturan.bpk.go.id/details/258028/uu-no-17-tahun-2023(最終閲覧日:2025年12月23日)
- インドネシア保健省(Kemenkes)公式WEBサイト “Hak dan kewajiban tenaga medis, tenaga kesehatan, dan pasien diatur dalam UU Kesehatan“:https://kemkes.go.id/id/hak-dan-kewajiban-tenaga-medis-tenaga-kesehatan-dan-pasien-diatur-dalam-uu-kesehatan(最終閲覧日:2025年12月23日)
- ジャカルタ州 公共サービスサイト “Peraturan Menteri Kesehatan Nomor 340 Tahun 2010 tentang Klasifikasi Rumah Sakit(PDF)“https://pelayanan.jakarta.go.id/download/regulasi/peraturan-menteri-kesehatan-nomor-340-tentang-klasifikasi-rumah-sakit.pdf(最終閲覧日:2025年12月23日)
- インドネシア国防省 監察総局(Itjen Kemhan) “Berita Negara RI 2014 No.232(Permenkes No.9 Tahun 2014/Klinik)(PDF)“:https://www.kemhan.go.id/itjen/wp-content/uploads/2017/03/bn232-2014.pdf(最終閲覧日:2025年12月23日)
- 経済産業省 ヘルスケア国際展開 「国別レポート:インドネシア(PDF)“:https://healthcare-international.meti.go.jp/files/parts/2025/countryreport_indonesia_PDF.pdf(最終閲覧日:2025年12月23日)
- MEDPA(医療・介護・福祉分野の国際展開支援)「アジア調査資料(PDF)」:https://medpa.or.jp/cms/wp-content/uploads/2024/06/65-asia-study.pdf(最終閲覧日:2025年12月23日)



